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連載
Vol.2 | 2026.06.12
牧野漆工芸――『光を汲み取る黒』に込める技術

両足院、そして、漆塗り。今までにない作品制作が決まり、いよいよ作業工程に入った。漆塗りの制作を担ったのが「牧野漆工芸」。金閣寺など日本が誇る全国の寺院や本山の修復を担う職人集団だった。
一度手がければ50年~100年後まで修復をすることはない。まさに「一生に一度」の仕事に心血を注ぐ職人たちだった。「漆に写真をプリントすると聞いた時は〝大丈夫か?〟とヒヤヒヤしました。少しの埃も許されない極限の平滑が求められますから」。次期4代目の牧野昂太氏は笑う。「完成した作品を見た時、漆の黒が羽生さんの纏う光と共鳴して、まるで神仏のような神々しさが宿っていて驚きました」

「極限の平滑」の背景にある物語
神社仏閣用の漆塗りの工程は非常に緻密である。下地作りから仕上げまで17工程以上。期間にして約3カ月を要する。木材に漆を吸わせ、布を貼り、漆と砥の粉(とのこ)を練り合わせたものを布の目を埋めるように塗り、研いでは塗る作業を繰り返す。天然の塗料である漆は、その日の気温や湿度によって調合を変える必要もあった。
小さな埃一つ入れば塗り直しとなる繊細な作業。職人たちが「平滑に塗る」と表現する技術は、鏡のような光沢を生み出す職人技の真骨頂だった。


漆の黒は「漆黒(しっこく)」と呼ばれる。単なる黒ではなく、周りの景色や光を吸収し、奥行きのある反射を生み出す。
牧野漆工芸で脈々と受け継がれてきた技術を支える哲学に「漆の一滴は血の一滴」という言葉がある。牧野氏は「曾祖父からそう教わりました。漆は木の血です。漆の黒は光を反射するのではなく、汲み取るのです。周囲の景色を吸収して深い奥行きを作っていく」と言う。人工の塗料では出せない「光を汲み取る黒」。そんな哲学が今も息づく工房で、作品が作られていった。

漆に差し込む新たな光「外の世界とのミックス…これからの工芸」
主に神社仏閣の修復や高級漆器のために使用してきた漆に、写真をプリントするかつてない試み。羽生結弦という被写体を通じ、新たな可能性が生まれた。漆特有の「黒の深み」や「光の反射」が、人物の神々しさやオーラを引き立てる新しい表現手段となる発見があった。
牧野氏は作品完成時を振り返る。「最初は、難しいことに挑戦している不安もありましたが、出来上がった作品を見た瞬間、声が出るほどのインパクトがありました。漆の深い黒の上に羽生さんの繊細な青や光が載ることで、まるで仏像のような神々しさが生まれ、新しい可能性を感じました」。
漆黒に浮かび上がる、厳かな羽生結弦の舞い――。その青い肖像は、牧野氏にとっても未知との出会いだった。「漆では限界があったところ、印刷によって初めて出来上がった作品。新たな発見をさせてもらうきっかけになりました」。
そもそも漆だけで青を表現するのは難しい。漆のベースは茶色だ。青の顔料を入れると、緑に振れてしまう。暗い紺、青は表現できても、白みがかった水色や濃淡を出すことはできない。だからこそ、印刷という技術が折り重なることで生まれた繊細な水色は新鮮そのもの。新たな芸術の息吹だった。

一子相伝されてきた京の伝統技術も、羽生結弦が目指す理想と通じるものがあるのかもしれない。フィギュアスケートと別ジャンルの掛け算で新たな価値観を提示し続ける羽生結弦。そして、信念を貫き続ける職人技に何かを掛け合わせる挑戦をすることで、可能性が無限に増える。「漆を知らない若い世代にも、こうした企画を通じて〝漆って何だろう?〟と興味を持っていただけるとうれしいです。伝統をただ守るだけでなく、外の世界とミックスしていくことが、これからの工芸には必要だと考えています。伝統が現代のスターと交わることで〝漆ってカッコいい〟と若い世代に思ってもらえる、確かな手応えを感じました」と牧野氏。物質としての羽生結弦が生んだ、新たな光だった。
Text 大和弘明
Photo 小海途良幹
Behind The Scenes|小海途良幹 取材後記
「光を汲み取る黒」という牧野さんの言葉が心に強く響いた。
平滑を極めた漆塗りの鏡面は、反射して光を完全に弾き返しているイメージを持っていたからだ。光を取り入れて漆黒が生み出されると聞くと、有機的でどこか優しさも感じる。両足院に溢れた光を汲み取って、まさにあの場所でしか出せない黒が存在していたのだと思うと、写真展を行った意味がさらに大きくなったように感じた。
光を放出する青い羽生さんの肖像と、光を吸収する漆黒が共存するこの作品は、光の呼吸をしているのだと気づかされた。
